編集部ブログ

2020.04.28

菜種梅雨(なたねづゆ)

ここのところ、お天気が変わりやすいですね。朝晴れていたかと思うと、みるみる曇って雨が降り出す日も。
そういえば、二十四節気ではちょうど「穀雨(こくう)」。百穀を潤し、芽を出させる春の雨の降る頃です。 農耕にかかわる人々にとって恵みの雨。草花も青々と茂ってきました。この時期に長引く雨を菜種梅雨(なたねづゆ)というそうです。

森神逍遥先生の『侘び然び幽玄のこころ―西洋哲学を超える上位意識―』の「第一章 侘び」の中の、菜種梅雨(なたねづゆ)の描写は少年のころの筆者の見た美しい雨の世界です。

■輪廻する四季(続き)

春の菜種梅雨(なたねづゆ)は三月下旬から四月上旬の長雨のことだが、本物の梅雨に比べられる程のものではない。寧ろ催花雨(さいかう)と言って、花々の咲き出すのを促し世を幸せにしてくれる雨である。

そんな時の雨は、花々の蕾(つぼみ)の上に雫(しずく)を垂らし一輪一輪をいっそう可憐に見せる。そんな僅かな長雨は、人びとの心に諦めを生じさせることはない。野生の百合や大きなキスゲに降り続ける小雨も優しい。瓦屋根から滴(したた)る雨粒は地面に小さな穴の列を作り、その飛沫(しぶき)が飛び跳ねる様は恰も、スローモーションの映像を見ているかの様である。静かな雨音が支配する世界である。

狭い濡(ぬ)れ縁(えん)に一人坐って、鬱陶しいはずの雨に、一人語りかけている風景は、今も千年前の昔も変わらない。外で遊びたいのに遊べない。しかし、その分、雨がかかりそうになりながらも縁側で一人ポツネンとして風情を楽しみゆっくりと落ちていく雨粒を見ている自分がいる。そんな中、小鳥が寒そうに木々に集まって留まっている。大急ぎで飛び去るものもいる。その様は、人の生き様にもよく似ている。雨の降り始めに漂って来る土埃(つちぼこり)の匂いは、何とも捨てがたいものだった。ほっとする何かがそこにはある。そうして次に雨が降り出してくるのである。一瞬、時間が止まった様に感じるのは筆者だけではないだろう。

そんな雨の中、いつもの様に濡れながら泥や雑草や野菜等と向かい合っている百姓の姿が目に映るのである。黙々と只黙々と体を動かし続けるその万年にも及ばんとする営みが、目に焼き付き離れようとしなかった。そこまでの苦労をしても一年の収入は高が知れているのだ。百姓はよくそれに耐えて生きてきた。美しい程に彼らは筆者の中で輝いていたのである。

しかし、この催花雨と違って梅雨は、人びとに「定め」を刻印するものである。それこそが正に、肯定的な「侘び人」が作られていく時であるのだ。「本物の侘び」は、大自然の人の生活の中で醸成されていくものであるからだ。決して衣食住が足りた都人から生まれ出る哲学ではない。それは、遙かに命懸けの精神にしか宿らない深く厳しい美意識であるからだ。