古き良き日本時代

私は昭和七年九月、台湾南部の都市、台南市で生まれました。日本の台湾統治が始まって三十八年目のことでした。

ちょうど一年前の昭和六年九月には、満州事変が起こっており、翌年三月には「満州国」が建国されました。同年十月に、国際連盟が満州国を否定すると、連盟の創立国であり常任理事国でもあった日本は、国際連盟を脱退し、日本を取り巻く国際情勢が騒然としてきた頃のことでした。

小鳥が生まれて初めて見たものをお母さんだと思うように、私も日本を母国と感じていました。もちろん、子供時代は自分のことを日本人だと信じて疑っていませんでした。名前も、昭和十五年の改姓名によって楊素秋から弘山喜美子という日本名をもっていました。 本章では日本統治時代のことを述べていきますが、ひと言で言うと、日本時代は、私にとってパラダイスでした。良いことだらけで何から話してよいか分からない、と言って信じてもらえるでしょうか。

私が生まれた台南は、昔、都が置かれお城があった名残から、「府城」と呼ばれていました。中でも「台南府城」の出身というと、台南の中でも城壁に囲まれた中心街の出身ということを表し、ここの出身者はプライドがありました。私は、その「台南府城」の出身です。台北が東京に喩えられるのに対して、台南はよく京都に喩えられます。台南の人々はエレガントで言葉が優雅なのです。もっとも、完璧主義でこだわりがあるのが欠点で、一般には台南出身者はケチで堅苦しくてうるさいという風に言われてもいます。

日本時代の台湾は、町全体が豊かで、特に台南はゆったりと時間が流れているようでした。よく町の孔子廟では、詩人や文人が詩を作ってお互いに交換しあって楽しんでいました。 非常に安定した社会で、隣近所とは互いに信頼し合い、相互の信頼関係、人と人との絆が素晴らしかったのです。ですから、どこに行っても安心出来ました。それこそ枕を高くして寝ることが出来る世の中でした。

一方、今はどうでしょう。外を歩いていて何か話しかけてくる人があると、警戒心と不信感がまず頭をもたげてしまいます。

また、現在の台湾の町並みを見てもらえば分かりますが、どの家にも鉄格子が付けてあります。まるで、自分で作った牢屋に自分で住んでいるかのようです。 私の家もマンションの玄関のドアが二重にしてあり、窓には鉄格子がしてあります。それでも、空き巣に綺麗に洗いざらい盗られたことがありました。私は鉄格子の無い家に住みたいとつくづく思うのです。鉄格子の無い家で、戸締まりをしなくても安心して眠ることが出来た日本時代に戻りたいのです。道端で品物を拾っても、決して自分のものにすることのない時代にしたいのです。

日本時代は、人民は政府を信頼していました。そして、それに応えるかのように政府も人民の生活を良くしてあげたいという気持ちを表していました。また、兵隊さんも、先生方も、お巡りさんも良くしてくれ、町中至る所にいい雰囲気が溢れていました。

もしもタイムマシンで元に戻れるのなら、もう一度日本時代に戻りたいのです。あの平和で穏やかな時代に。

コラム2 台湾が日本に割譲される


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