台南師範学校付属国民小学校に入学

父は、私を日本人ばかりの学校に入れてあげようとしたらしいのですが、これには母が反対しました。それで、私は台南師範学校附属国民小学校という、台湾人が通う台湾で一番古い小学校に通うことになりました。

当時、初等教育には、公学校と小学校の二種類の学校がありました。普段、台湾語を話している台湾人の子供達は、公学校でまず日本語の基礎から学びます。一方、台湾に住んでいる日本人や、私のような台湾人でも日本語を常用している家庭の子供たちは、小学校に入って読み書き算盤など日本と同様の勉強をしていました(その後、確か昭和十六年、私が三年生の時に国民学校と改称されました。)

私が入った国民小学校の校章は桜の花でした。だから、今でも桜の花と聞いて思い浮かべるのは日本。そして桜イコール「大和魂」です。

大和魂は凛とした清らかな力を放っているものです。そこには美が存在しています。

先生はほとんど皆日本人でした。何しろ日本の教師を養成する師範学校の附属小学校ですから、教育が違いました。校長先生は師範学校に属しているということで校長先生とは言わず、主事先生と呼ばれていました。私達の学校には伊藤主事先生という方がおられました。

また、師範学校卒業前の学生数人が教育実習生として、教室の後ろに座ってじっと教学を見ていましたが、私たちは「教生の先生」と呼んで慕っていました。遊ぶ時はその教生の先生と一緒でした。私たち女の子は、お手玉、おはじき、鞠つき、鬼ごっこなどをしました。 男の子の遊びは、戦争ごっこやベーゴマ、めんこ、凧上げなどでした。当時の台湾は日本よりずっと日本的だったのかもしれません。

一年生の時の受け持ちの宮本先生は、とても美人。優しくて気立ての良い先生でした。私は、入学したその日から先生のとりこになってしまいました。先生が大好きで、先生を見ているだけで嬉しくなってしまうのです。宮本先生は、優しくて、よく頭を撫でて褒めてくれました。

宮本先生の教え方はとても分かりやすく、肌で感じる教え方、生活の中にある教え方と言ったらいいのでしょうか。割算を教えるのに、お饅頭を実際に割って教えてくれました。

私たちを学校の裏にあった牧場に連れて行ってくれたこともあります。先生が、「これが飼葉といって牛の餌、それからこれは牛小屋で牛のお乳を搾る所。それから、牛の搾ったお乳を牛乳といって瓶に詰めて、ラベルを貼って配達するんですよ」と説明をしてくれました。

先生が「皆さんは誰のおっぱいを飲んで大きくなりましたか」と聞くと、皆が「お母さんのおっぱい」と答えました。私は威勢よく手を挙げて「はい、私はお父ちゃんのおっぱいで大きくなりました」と言い、皆に笑われたので、私は泣き出してしまいました。

その日の放課後、宮本先生は私の手をとって家まで一緒に来てくれ、父にことの成り行きを話してくれました。父は「ワッハッハ」と笑っていました。父にとっては、「父ちゃんのおっぱいで大きくなった」というのはとても嬉しい言葉だったのでしょう。私を目の中に入れても痛くないほど可愛がってくれていましたから。私はというと、先生が一緒に帰ってくれるだけで嬉しくて、泣いたことなんてケロッと忘れてしまっていました。

また、私が何か落とし物を拾って届けると、先生はまた私の手をとって家まで来てくれて、色々と私のことを褒めてくれました。父は目尻を下げて聞いていました。

私たちの学校の先生は教育に非常に熱心でした。親とのコミュニケーションも緊密でしたから、信頼関係がありました。先生と生徒の間は、まるで親子や兄弟、姉妹のような関係だったのです。


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