本当の空手を目指していた大山総裁

その頃の大山総裁は、それまでの空手では物足りない飽き足らないと、本当の強い空手を目指すということで、大山道場を立ち上げたのだと思います。

名前を「空手道極真会大山道場」としていました。それまでの空手というのは、総裁の目からご覧になると、ただの「ダンス空手」にしか見えなかったのでしょう。

当時は、寸止めの空手が主流でしたが、寸止めというルールができ上がると、当てて倒すということはやりませんので、当てられた時のことを考えて体を鍛えることがつい疎かになってしまう。結局これも、後の、顔面攻撃のないルールだから顔面攻撃のことを考えなくてもよいというのと同じで、ルールに縛られてしまったということなのでしょう。

直接打撃ならば、相手を倒さなければいけませんから、一撃必殺を身につけようと、当然死にものぐるいで稽古をやらないといけませんし、また、自分がやられた時のために体を鍛えなければいけません。

寸止めというルールに甘んじてしまって、体を鍛えないもやしのような選手が、試合で技ありを取ったとしても、本当にそれが効くのかどうかは、スイカでも食べてみなければ甘いか酸っぱいか分からないのと同じだというのが総裁の考えでした。

後の第十五回全日本空手道選手権大会でチャンピオンになった大西靖人君は私の後輩ですが、彼は元々寸止め空手をやっていました。その時の先生に、「君の前蹴りは人が死ぬ」といつも言われていたそうです。それで、本人もそう思っていたのですが、それから極真に移り、大会に出場して、その前蹴りで相手を蹴ってみたら、人が死ぬどころか倒れもしなかったということでした。

だからこそ、実際に突きや蹴りを当てる空手をやらなくてはいけないし、アメリカに行ってプロレスラーと闘ったり、アメリカの若者を指導して帰って来たという体験から、寸止めのようなものではアメリカのような国では誰も納得しないだろうと総裁は感じたようです。

そこで、実際に殴り合いをする、実戦の場として大山道場を作られたと思います。

それにしても、総裁はアメリカに渡ってプロレスラーと闘ったり、牛と闘ったりと、いわゆるド派手なことをやっていたわけですから、そんな人間が新しいことをやれば、喧嘩空手だ、邪道空手だと「あんなことをやって、とんでもない」と思われて目の敵にされても当然でした。

つまり、閉鎖的で封建的な空手界という世界の中で、大山総裁がそれに異を唱えられ、たった一人で大山道場を始めたのです。そのようなことは、相当な実力と勇気がなければできないことだったでしょう。

一方、総裁の強さを慕って集まってきた生徒達も、皆本当の強さを求めて全国からやって来た者達でしたから、先生も生徒達も強くなろうという意識は半端なものではありませんでした。

これはもう、かつての中国の梁山泊のように、豪傑が集まってきたという印象でした。しかも、道場に通ってくるのが、空手着だけでなく、柔道着や剣道着という人達もいましたから、ここは一体何の団体だと思われたことでしょうね。まったく異種混合武術をやっているようなところでした。


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