極真空手のその先

空手は、まず第一に日常的に身を護るということが発想の根本にあります。ですから、それは当然ウェイト制ではなくて無差別です。それが根本にあって武道になるのだと私は考えています。確かに空手は強くなるための道ですが、無差別であり武道であり、そしてそこに呼吸があって、禅で言うところの「見性悟道」というものがあるのが本来の空手ではないかなと私は考えています。

空手が空手「道」ではなくて、ただの格闘技であるならば、私達が生涯をかけるほどのものではありません。五十歳を過ぎてもやっていて楽しいと思えるものではありません。しかし、実際に楽しいですよ。この歳になっても色々な発見があります。

空手は体力がなければ駄目だという見方がありますが、それは、試合に出てチャンピオンになって勝ち続けようというものだったらそうでしょう。チャンピオンになるには才能もさることながら、天の時(選手の年齢)、地の利(あるレベルまでの稽古仲間)、時の運、そういうものが揃ってなれるものです。皆が皆なれるものではありません。

しかし、チャンピオンになる道と、空手を生涯続けて名人へ至るものとは違うでしょう。どんなに体が弱くても、動作を正しく、呼吸を正しく、きちんと足腰を鍛え、正確に突き蹴りを出していけば、歳を取ったとしても若い人達にきちんとした技を教えていく名人と呼ばれるような道を進むことは出来るのではないかと思います。

ところが、強くなるためだけだったら、ウエイト別になっているボクシングやキックボクシングをメインにすれば、実際に顔も叩くし、手も足も使って一番いいじゃないかとか、あるいは、組んで逆手を取ってもいいじゃないかという発想をする人がいっぱいいるわけです。ただ、それが武道として成り立つのか、つまり、見性悟道という武道として成り立つのかという問題があります。

単なる強さ弱さではなくて、必ずその先があるものが武道と呼べるのだと思います。キックをやってもいいし絞めてもいいし、何をしてもいいのですが、その先があるのかないのか。その先がなければ単なる格闘技です。その先があるのかないのかが、武道と呼べるか呼べないかの境目なのではないでしょうか。

私が今やっている空手に、きちんとした動作と呼吸、型で自分をコントロールするという指導体系があれば、その先というものが確かにあるんじゃないかと思います。ただ強いただ弱いというだけで止まっていたら、やはり空手とは言えません。こういう考え方には、私の子供の頃の宗教観のようなものが非常に影響していると思います。

大山総裁は、まだ若い頃に、総裁の先生から、伝統的な空手の様々な技術的なことや素養が大事なのではないかと言われても、「なにこの先生、俺が一発ひっぱたいたら、すっ飛んでしまうよ」と思っていたそうです。しかし、晩年になって、「今にして思えば、あの先生の言っていたことは正しかったと思う。本当にね、私は不遜な若者だった」と、何度も仰っていました。

総裁自身は、徹底的に体を動かして鍛えて、とにかく人をぶっ飛ばして実戦の場で鍛えて行った人ですから、じっくりと立禅をやるといった稽古はあまり得意ではなかったのでしょう。

実際にぶっ飛ばす技術、倒されない技術といったものは、総裁のお蔭で極真はどんどん伸びていきました。しかし、強さの先というのを私達は考えたんです。

肉体を鍛え、肉体を苛めていく、その修行過程で精神的にも鍛えられる。そういうものは総裁の修行にすごく感じました。しかし、正直に言いますと、当時の極真には、そこから先というものが感じられませんでした。

山岡鉄舟が死ぬ時は、座禅をやって、それで死のうとしたそうです。そこへ勝海舟が訪ねて来て、「もう死ぬのか」と尋ねると、「ああ、もう死ぬ」と答えて死んだという話があります。

これは伝説かも知れません。しかし、王A齋という人智を超えた人がいて、澤井健一先生が現実にその先生の下について修行され、それで大山総裁と若い一時期、一緒に修行されたというのは事実です。

ただ、澤井先生は十数年間中国にいて王A齋老師の下で修行されましたが、澤井先生の性格からか体系的には教えてもらっていません。聞けば教えてくれたのでしょうが、澤井先生はそういうことは聞かれませんでした。

澤井先生の習い方というのは、場当たり的で「こうされたらどうしますか?」とグローブを付けて自分の先生にかかっていったりしたそうです。

こんなことは中国では絶対タブーなことです。もう即刻破門にされても文句は言えないんですけれど、王A齋老師というのは妙に澤井先生を可愛がっていました。また、外国人ということもあったようで、破門には至りませんでした。

失礼なことだったのですが、その時、ねじり鉢巻きをギュッと締めて、グローブを付けて王A齋老師に殴りかかったら、手を掛けられてバンと体を引かれて、もって行かれたらしいんです。あまりに急激にもって行かれたから、つけていたねじり鉢巻きがクルクルと天井の方に飛んで行ったそうです。バンとやられて体が天井を向いた時に、鉢巻きが飛んで行くのが見えて、「その時の光景が未だに忘れられない」とよく話されていました。

「世の中に強いと言われる人は沢山いるけれど、俺の師匠ほど強い人は見たことがない」と澤井先生が仰るわけです。私達は、澤井先生の見た王A齋像しか知りませんから、王A齋老師に対しては、ある種のあこがれがあります。

澤井先生が王A齋老師と知り合った戦時中は、少しばかり腕に覚えがあるといっても、相手は拳銃を撃つ、機関銃を撃つ、青龍刀を振り回すで、そんなものは何の役にも立たなかったそうです。澤井先生も、軍の特務機関の任務で、実際に日本刀で斬り合ったり、敵を暗殺したりということをしていましたから、よく分かっていたと思います。

ところが、その澤井先生がしみじみと「王A齋先生ほど強い人は見たことがない。あの先生の『気』の強さを得られれば、私は何も要らない」と仰っていたんです。それを聞いた時に、私もそこまで行ってみたいと思って、それ以来意拳の稽古をやっているんです。


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