台湾の中の日本

日本といったら、私にとっては当たり前の存在、体の中に染みついている存在です。私は帰らざる日本人だと言われているぐらいで、どこへ行っても日本人だと思われます。

現在の六十五歳以上の台湾の人達は、日本語族と言われ、昔の日本時代の良さを今も懐かしんでいます。日本に植民地統治をされた私達が、どうして日本贔屓になり、日本語を常用する日本語族になるのか、戦後教育を受けた日本の若い人にとっては不思議かもしれません。

それは、日本時代の五十年と、終戦後の中国統治下の五十余年とを比べた結果なのです。言ってみれば、中国の悪い政治が、私達を日本贔屓にしているのです。

日本は、五十年かけて台湾の近代化を進めました。近代国家としてのインフラを整備し、人々を教育して、それまでの中国式のだらしない国民を、「公」という精神を持った、法治国家の国民へと変えていったのです。

ところが、戦後やってきた中国人は、それをことごとく破壊して、人々を弾圧し、搾取し、私腹を肥やすことしかしませんでした。中国人は、利己主義で、嘘つきで、がめつい。しかも、恥知らずで、凶悪でした。

戦後のあの忌まわしい二・二八事件で、中国人の本性をまざまざと見せつけられ、私達はこの戦後やってきた中国人とは違うのだ、自分達の精神の基盤は日本精神なのだ、と明確に意識するようになったのです。

私達は日本時代の二世です。領台の最初の頃は、いろいろなことがあり、日本統治を快く思わない世代もいたでしょうが、私達の代は、決して日本が悪いとは感じていません。

収入の面で、日本人と台湾人の間の差別に不満はありました。同じように働いても実入りが違うから癪に障ります。自分は台湾人で、あいつは日本人だからという感覚はあります。それでも日本が嫌いでないのは、友は友であるし、同じ兵隊で死んだ仲間もいるし、同じ時代に生まれ、同じような環境に生き、特攻隊にはならなかったけど、国の為に死のうと思ったこともあったからです。そういう時代を共有してきたからなのでしょう。

当時も、日本時代の悪いことはことさらに感じませんでした。それどころか、日本の植民地だったということすら、別に感じていませんでした。警察だとか思想だとか、あらゆる面で社会がうまくいっている頃でしたから、そんなことすら感じない時代だったとも言えるでしょう。

満州や朝鮮はまた少し違ったかもしれませんが、当時、西欧列強が行っていた植民地的感覚の統治とは全く違って、国を治めるというような腹太い政策でやっていたのです。台湾人として、世界史から見ても日本の台湾統治は政策として上々だったと思います。


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