愛情に溢れた先生たち

日本人の先生方の素晴らしかった点として、自然に接して教えてくれたことが挙げられます。その人の長所をちゃんと分かってくれ、まるで双葉を大きくするように育ててくれました。 例えば、ピアノが出来る人には、ピアノの演奏をさせたりするのです。また、顔が綺麗でリズム感がある人には踊りを教えてあげたりといった具合です。そういう所が一人一人の自信につながりました。

国民学校の時、私が接した先生の四人が四人とも、その子の長所を発見して伸ばしてあげようという先生でした。師範学校は、教育のあり方を追求するという思想の下に設けられた学校ですから、私は本当に幸せだったと思っています。

ただ覚えろ、試験で百点をとるためにとにかく覚えるだけ覚えろ、という感じでは全くありませんでした。ですから、学校に通うのは何よりも楽しいことでした。

昔の先生は本当の「先生」でした。ただ、一足す一は二と教えるのではないのです。一足す一はすなわち二ではない、一かもしれない、零かもしれない。あるいは三になったり四になったりすることがある。そういう生きた教育でした。

学校では出来る子も出来ない子もいましたが、先生は親身になって分け隔てなく教えてくれていました。出来ない人を馬鹿にするようなことはありません。とにかく助けてあげるという気持ちが表れていました。出来なかったら生徒同士もお互いに教え合いましたし、先生もそうなるように努力していました。とにかく、自分の受け持ちの子は全部一様に大きくなっていけるように、というような信念というか目標というか、考えがあったらしいのです。

しかし、優しいだけではなく、厳しい面もありました。日本の先生は、時々拳固を振るうこともあります。女の子に対してはビンタを張ることもありました。しかし、腹が立って感情に任せてするのではなく、その子が絶対に悪いことをしたという場合に限られていました。よほどのことでなければ生徒を叩くことはありませんでした。

子供を正すために叩くというのは、生徒に対する愛情がなければ出来ないことです。親が子を思うような心がなければ、あのように叩けるものではありません。ですから、終われば先生はけろっとしていましたし、生徒も先生の愛情を感じて、自分が悪かったのだと反省をするのです。叩かれた子の親も、叩いて頂いて有り難うございます、と心から思うのです。

今、過去を振り返って日本人の先生のことを思うと、愛でもって子供たちの行く先を案じるという気持ちがなかったら、あのような教え方は出来なかったに違いないと思うのです。

先生のお給料は少ないのです。その自分のなけなしのお金の中から子供に何か食べさせてあげるということが、今の先生に出来るでしょうか。

逆に、今の先生は子供の両親からお金を取ろうと狙ってばかりいるのではないでしょうか。現に台湾では、先生が自分の家で補習班(塾)を開いて親からお金を取っています。そのようなアルバイトをすることは、台湾では本当はいけないことです。でも、していない方がおかしいぐらい、先生はアルバイトに精を出しています。とても日本時代では考えられないことです。

コラム5 日本統治前後の台湾の教育


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