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第四章 軍医となって

日米開戦
 日本は、昭和十二(一九三七)年、盧溝橋事件に端を発する支那事変から、急速に戦争へと突入していきました。

 戦争という時代でしたから、社会にも、人々の心にも歪みが生じていました。台湾人の私にとっては、締め付けと差別の苦しい時代でしたが、それは日本国内でも同様でした。読者の皆さんにとっては、耳の痛い話もあるでしょうし、あまり愉快な話ではないでしょうが、この時代の私の体験を、ありのままに綴りたいと思います。

 支那事変が起きたのは、中学の時ですから、よく覚えています。「支那事変勃発」と聞き、ああそうか、と思った程度でした。同年十二月、南京陥落の時は、提灯行列に行きました。街中が勝利に湧いていました、私も、日本が勝ったのは喜ばしいことだと思っていました。この頃は、まだ、戦争という実感はありませんでした。遠いところでの出来事でしたし、ピンとは来なかったのです。

 私が大学に入った年、昭和十六(一九四一)年の十二月に、大東亜戦争が始まりました。戦争がいよいよ始まったとのニュースは、学校で聞いたり新聞を見たりして知りました。皆、真珠湾の戦果だとか言って喜んでいましたから、ああ、そうかそうかと思っていました。それまで、日本は経済封鎖などで、かなり締め上げられていて、物も不足していましたから、やった! これから楽になるという気持ちもありました。

 一番嬉しかったのは、シンガポールが陥落した時です。開戦直後の昭和十七(一九四二)年二月のことでした。日本軍は、ハワイ攻撃と共にこのマレー作戦を重視し、ハワイ、マレー、フィリピン、香港、グアムへの先制攻撃をもって大東亜戦争を開始したのです。

 英国の極東根拠地だったシンガポールが陥落した時、小学生は、皆ゴムまりを一つ配給されました。あそこはゴムの産地だということで、テニスボールの柔らかいものが一つずつ配られたのです。軍部は、そういう宣伝もやりました。皆、大喜びでした。あの時、ゴムはありませんでしたから、運動靴もゴム底がないのです。シンガポールが陥落したら、ゴムが沢山入って良いことだ、と思っていました。その頃は、物もそろそろなくなりかけている頃でしたから。

 しかし、一方では、台湾人に対する皇民化運動はますます厳しくなり、成年した私は思想的にも内心を表現することが出来ず、思い悩むこともしばしばでした。

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