コラム21 靖國神社

日本を近代化させるために戦われた内戦(戊辰戦争)で、官軍側には約三千五百名もの戦死者があった。それら戦死者の御霊を弔うようにとの明治天皇の思し召しによって、明治二(一八六九)年、東京の九段坂上に靖國神社の前身である東京招魂社が建てられた。

後に嘉永六(一八五三)年のペリー来航時まで遡って、国内の戦乱で斃れた人たちも合わせて祀られ、その後、佐賀の乱や台湾征伐、西南戦争での死者が祀られていった。

明治十二(一八七九)年には名前を「靖國神社」と改め、以後国家を守るために命を捧げた国民が祭祀されることとなったのである。日清戦争では約一万四千人、北清事変では約一千二百人、日露戦争では約八万八千人、第一次世界大戦では約四千九百人、満洲事変では約一万七千人、支那事変では約十九万一千人、そして大東亜戦争では約二百十三万四千人の御霊が祀られることとなった。

護国のために戦に赴いた人たちは、たとえ死んでも靖國神社に祀ってもらえると信じ、「靖國神社でまた逢おう!」と言い残して散って行ったのであった。また、軍人だけではなく看護婦として従軍した乙女たちも共に祀られている。神社に併設されている遊就館では、彼ら彼女らの遺品や遺書などが展示されており、命がけで日本を護った人々の心情を知ることが出来る。

今も、敗戦記念日の八月十五日には、毎年遺族の方たちだけでなく沢山の人々が参拝に訪れる。ちなみに、神社の本殿に進む時にくぐる荘厳な造りの神門は、台湾の阿里山の檜で作られている。


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