エネルギーの塊だった大山道場時代

-大山先生のことは、御著書『世界ケンカ旅』で初めて知りました。そしてその生き様にとても感動したものでした。戦後、日本人はずっとぱっとしませんでしたからね。そんな中で、あの本には非常に勇気づけられ、感銘を覚えたものです。しかし、当時の大山道場の人達と、今の極真の人達とは、もう全く考え方が違うという感じがします。

盧山 大山道場時代は、まだしっかりとした組織というものもない、一介の町道場でした。しかし、そこに集まった人達のエネルギーが、もうそれこそ地球の中にあるマグマのように沸騰していました。

空手を始めとした色々な武道や格闘技をやっていて、その中でも特別強さに憧れ、半端な強さでは物足りない人達が当時の大山道場に集まったと思うんです。小さな空間に過ぎなかった大山道場で稽古をやっていた人達が、瞬く間に世界を席巻して、極真が世界的な組織になったのは、あの時沸騰して、もう本当に行き場のない皆のエネルギーが、パーンと爆発したようなものだと思います。

だから、寸止め空手をやる人達、柔道をやる人達、剣道をやる人達が集まった当時の大山道場は、柔道着を着た人、剣道着を着た人と、色んな人達が(笑)いて、それこそ、今で言うならばグレーシー柔術のような試合を毎日毎日行っていたようなものでした。

当時は、顔面攻撃があり、金的蹴りもありで、もう反則なしに近かった。目突きも、やる人はいましたよ。実際に、突くことはしませんでしたが(笑)。

『空手バカ一代』の中で準主役になった春山一郎(有明省吾)先輩は、金的を蹴られて、それこそ道衣を真っ赤にして、そのまま病院に運ばれたりしていました。自分の急所が皮一枚でぶら下がっているのを見て驚き、病院に行く間に「結婚できないよ!」と絶叫していたと言います。

鼻血が出るのは当たり前のことでした。あの時の熱気は、それこそ止められない熱気でした。

今の生徒達の練習方法は、試合に何とかベストのコンディションに持っていけば良いというもので、普段の稽古ではガチンコの勝負はやりません。一方、あの頃は、試合、大会というのはありませんから、毎日毎日がガチンコの練習でした。その中が唯一の自分を表現できる場でした。だから、あの時の厳しい稽古を今やったら、三日ももたないですよ。みんなやめてしまいます。

-でもあれだけのことをやっていれば、今の大会でも日本選手は間違いなく勝てると思うんですが。

盧山 もちろん。勝てるだけではなく、極真がいつまでも世界最強の空手として、多くのファンを魅了していくと思います。

やはり、空手は、お互いに距離を取った間合いの中で、息詰まる攻防を繰り広げて、それによって観客は魅了されるのだと思います。今のように、ヨーイドンでダーッとぶつかっていく、どつきあいのような空手とは明らかに違うものがありました。

-ああいう試合を見て、もう極真を見なくなってしまったという人は多いのでは? 盧山 例えば、海外の極真が主催する大会でも、会場でお客さんが椅子に横になって寝ているんです。そういう試合がだらだらと長く続きますから、これは観客にとっては、大変な迷惑だなと(笑)、本当にそう思いますよ。試合を、我々だけの、身内だけの自己満足で終わらせるんだったら、極真空手の発展はありません。


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