島田謹二先生の型破りな授業

台北高等学校での三年間は、辛いマイナスの面もありましたが、プラスの面もありました。教師の中で台湾人に対して差別をしない立派な方もありました。

ドイツ語の中村為吉先生は特にそうでした。クラスに「沈」という生徒がいて、「チン」と呼ばれていましたが、先生は、正しい発音は「シン」だと主張して、台湾人としての誇りを持ちなさい、と言いました。

高等学校時代においても、大変に幸運なことに、恩師といえる先生との出会いがありました。それは高等学校三年生の時の英語の教師、島田謹二先生です。

島田先生は、教科書として英文の小説を採用して、原文をそのまま私達に読ませました。先生は比較文学の大家で、講義も一般の教授とは異なった方式をとっていました。例えば、サマーセット・モームの "The pavilion on the links" という小説の一句に、"An assistant arrived in the afternoon." というものがありますが、これなどは「a」を並べて、ストーリーの暗黒さを暗示していると教えてくれました。こんなことは言われなければ気づかず、文章を味わうことなど出来ません。

英文の現代小説を原文で読み、その意味を理解していくのは大変でした。しかし一年間で、どうにか全体のストーリーを読み終え、学期末の試験に備えて必死で単語や文章の和訳を暗記しました。

ところが試験当日、先生が出題された問題を見て、皆びっくりしました。それは、「この小説を読んで何を感じたかを日本文で書け」という問題でした。単語や文章の暗記など全く無駄なことだったのです。しかも、英語の授業なのに答えは日本語で書くのです。

私は何とか頭の中に残っているストーリーと、吟味すべき所々の名文について、自分なりの論説を答案用紙一枚に書き、及第点を得ました。先生は諸外国の言葉に精通され、中でも英国、イタリア、ロシア、フランス等の作家を多く比較研究されていたようでした。

「しまきん」というあだ名も、今では大変懐かしく、親しみとして残っています。昭和十六(一九四一)年頃は、私達の高校生活も戦時色を帯びて、息苦しくなっていました。自由思想のかけらさえも残っていなかったこの時代に、このような素晴らしい啓蒙的な講義をなさっていた先生は、私の青年時代の良き思い出となって、老境に入った今の私にとっても忘れ難いものです。内台間の差別や、異なる民族間の違和感等のあったあの時代に、先生はそのような感情は一切なく、私達台湾人も一様に生徒として同じく薫陶を受けました。英語の先生でしたが、ご自分に備わっている教養、議論のやり方といったことまで、いつの間にか教えて下さっていました。

日本人である島田先生から、文学についての知識を学び、その深い造詣に触れ、私の読書の習慣は養われました。文学、哲学、芸術等あらゆる分野の書を乱読し、友達と激論を交わしたのも高校時代でした。 武者小路実篤、森鴎外など、日本の小説や随筆も多く読み、近松門左衛門に没頭したこともあります。中国の本では、林語堂というエッセイストの本などをずいぶんと読みました。

島田先生は、青年だった私達に読書の意欲を注ぎ込んでくれたのです。これは、高等学校で一番の収穫だったと思っています。読書は人生を豊かにしてくれました。

青年時代に培われた日本語による高等教育は、私の一生を決定し、今日の成就をもたらしました。この島田先生は、私の最も尊敬する恩師の一人です。残念ながら、もう亡くなってしまいましたが、当時は、そういうずば抜けた人間的に尊敬できる先生がいたのです。


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